ブログトップ

茨城のプロカメラマンは、どなた?

ipaibaraki.exblog.jp

IPA茨城写真家協会ブログ

『ちょっと、感じたこと』 by Yo NAGAYA

私がプロとして映像の世界に入ったきっかけは、松本零士作品との出会いに負うところが大きい。
幼少時代からSF物が大好きだった私は、瞳のキラキラした夢見る少年だった。最初に映画館で見た作品で記憶に残っているのは、幼稚園の頃に観たキュブリックの『2001年宇宙の旅』。当時、大阪に住んでいた私は、親父に連れられてこの映画を観に行ったが、全てが本物に見えて、ちびりそうなくらいに興奮した。最後にワープしていくシーンでは、それまでのビジュアルの強烈さに脳みそが疲れ果て、ボーマン船長のヘルメットに映り込む美しくも怪しい光跡に魅入られながら寝てしまった。
1960~70年代は、テレビでも夢の在るSF作品の最盛期だったと思う。サンダーバード、キャプテン・スカーレット、宇宙大作戦(スタートレック)、スティングレー、原子力潜水艦シービュー号、タイムトンネル、謎の円盤UFOなどの名作がゴールデンタイムに目白押しだったが、残念な事に、上記の作品群は全てが輸入物であった。そして子供ながらに、国産番組の制作レベルの低さを嘆いたものである。
松本零士作品との出会いは、多分、小学生高学年の頃と記憶している。古本屋の雑誌に掲載されていた太平洋戦記をテーマにした『ザ・コクピット』に度肝を抜かれた。その緻密なまでのメカの描写、妖艶な女性キャラやとことん男臭い戦士達の物語に、感動する、という言葉の意味を理解した。
そして、現在の仕事へのベクトルを決定的にしたのが。松本零士の描いた世界観で空前の大ヒットとなった『宇宙戦艦ヤマト』だった。現代のように情報が簡単に手に入る時代ではなく、ヤマトの初回放送すら知らなかったが、チャンネルを回しながら(当時はダイヤルでしたね)赤い地球をバックに発進していくシーンに遭遇。メカの描写タッチから瞬時に松本作品だと判った。首筋の毛が立つ、という言い回しが英語にあるが、これまでは印刷された漫画しか知らなかった松本ワールドが、動画になったという事実に狂喜乱舞したものだ。『オタク』の第一世代誕生の瞬間である。映像や工業デザインに関わる仕事をしたい、と漠然と考えるようになった。
ヤマトは初回放送において視聴率に撃沈されてしまったが、その後はカルト的作品として復活を果たした。コアなファンとしては、この第一作で完結して欲しかったが、商業主義はヤマトをとことん利用した。ちなみに、今年の12月に公開予定である実写版には、期待と心配が絡み合った複雑な心境だ。同年代のファンの多くは、同じような気持ちかも知れない。その最大の原因は、物語の原作者と設定を担当した松本との権利争いというオトナの事情だ。東京都知事・石原慎太郎原作のアニメ映画『ヤマト復活編』と公開予定の実写版には、松本の名前は無い。松本の世界観無くして、ヤマトの成功は無かった。夢を与えるべき作品の裏事情とは虚しい物である。
実は、こうやって松本零士のことを考えてみたのには理由が有る。昨晩、某テレビ局において松本の代表作品である『銀河鉄道999』が特集されていた。当時のテレビ放送分を抜粋して放送しながら、作品について語り合うという構成だ。私は『ヤマト』をリアルタイムで観ていたが、『999』に関しての興味は持っていない。なぜなら、同作品のオンエア当時、私は遠くはなれた米国に留学していたからだ。『ヤマト』ブームが一段落した後、『999』ブームが社会現象とまで言われるようになって行った日本の情報は米国に居た私の元には届かなかった。
『999』の魅力とはなんだろう、という単純な好奇心から昨晩の番組を観てみたのである。しかし、何本かのエピソードを見終わって感じたのは、私はこの作品のファンにはなれない、という結論だった。
とにかく、それぞれの物語があまりにもペーソスで気が滅入るのである。生身の人間、もしくは機械化人が物語の中で次々と死んでいく。悪人も善人もそれぞれが物悲しい性を背負って登場し、死んでいく。
一つだけ共感したのは、物語の根底に流れる『生きる事』というテーマだ。泥臭くても、苦しくても、限りある命の火を最後まで燃やし続ける事への執着を感じた。戦中、戦後を生き抜いた松本だから描ける世界なのだと思う。しかしながら、物語において、母親の愛情、人を信じる力、誰かを思いやる気持ちをここまでストレートに表現している事に、ある意味での潔さを感じるが、立て続けに観ると気持ちがオーバーロードしてしまう。
最後に、標題である『ちょっと、感じたこと』に立ち戻る。
『999』を観ながら、現代の日本を蝕んでいる多くの問題について考えてみた。無差別殺人、児童虐待、大人社会と子供社会に共通している『いじめ』、政治家や企業による利己保身的犯罪などなど。レギュラーのカリキュラムから排除されてしまった『道徳の時間』の代わりに、『999』のエピソードを紹介したらどうか、と思ったのである。
テレビやインターネットを筆頭に、メディアというのは人間の感性や人格をも左右する力を持っている。松本零士のように、作品を見た人の足が震えるような感動を与える映像を私も作ってみたい。
[PR]
by ipa_ibaraki | 2010-08-10 10:55 | 長屋 陽