縄文の記憶(なまはげ) ・ そして祈りを! 嶋田孝和
男鹿半島、ここはなまはげ様のふるさとである。この半島に足を一歩、踏み入れた瞬間から、私の中の感情がいつもと違う事にきずくのに時間は掛からなかった。
同じ日本列島の中にいるのに、時間の流れ、空気のかおり、目に映る景色の色がどこか違うのだ。
もしかしたら、自分は時空を超えて、知らずのうちに神話の国に入り込んでいるのかも知れない。
男鹿に行ったらここに行け!といわれるぐらい外せない場所。「なまはげ館」
入り口に、これから起こる、不吉?な予感を察知した子供が中に入るのを躊躇っていた。
子供の予知能力は、自然界にまだ精神が近いので、敏感なのである。大人になると、現代人の常識や暮らしに適応している為に五感が、血の奥底に眠ってしまいがちなのである。子供の方が縄文人に近いのかもしれない。あとは、私みたいに山に篭り極力文明の物を持たないようにするしかないのである。
なにはともあれ、先に進んでみることにしよう。観光地ではあるのだが、神聖な空気が流れている。確かにここには、何かがいるのである。
恐る恐る、なまはげ館にお邪魔する。先程の子供の予感は見事に的中していたのである、おおよそ200人のなまはげ様、いやもっと多いかもしれない、なまはげ軍団が今か今かと、待ち構えていたのである。子供でなくとも、なまけていなくても、ちょっとたじろぐ凄さで迫ってくるのである、あまり紹介してしまうと、ここに行く楽しみがなくなってしまうので、写真はあまり載せないでおこうと思う。イメージとしては、中国の兵馬俑を考えるとよいと思う(昔からのなまはげ様から現在のなまはげ様までの大集合なのだ!)大昔のなまはげ様の顔は縄文の土面にも似通っていて実に興味深い。(中には現役のなまはげ様がいるらしく、大晦日の晩は出張なされるらしい・男鹿のなまはげ様は、生きているのである)
ここでは、なまはげ様変身コーナーがあり、近くにいた、ビューティな女性二人組さんが変身するとの事なので、御願いして撮影させて頂けた。こちらが、美人なまはげ様である!こんな、なまはげ様なら毎日でも家に来て欲しいかも(独り言である)
実に濃い時間を堪能できた、だが恐るべし、なまはげ館!敷地内となりに、なまはげ・男鹿真山伝承館が控えており、実際になまはげ習俗が体感できるのである。
ここでの体験も、あまり詳しく話してしまうと行ったときに感動が半減してしまうかもしれないので、みなさんが想像出来る範囲で紹介してみたい。
毎年、大晦日の雪がシンシン降る晩になまけものはいねが!と山からやって来る。
ここ真山のなまはげ様は角がない。本来、なまはげ様とは、神々の化身で災いを祓ってくれる、来訪神なのだそうだ。
なまはげ様の登場だ!案内人(ご主人)の伝承のおごそかな説明のあとなので、かなりビックリしてしまう。
ビックリしたり、感動したり、泣いたり笑ったり、とてもエキサイティングな時間!へたなアミューズメントパークよりはるかに、面白い!感動する!勉強?になる!連帯感が生まれて、ちょっとだけ友達になれます。
是非一度、男鹿のなまはげ館に行ってみては!子供を連れて、一人でも、二人でも、お勧めである
語りの内容がスムーズに伝わってくる、伝承とはこう言うことなのかもしれない。
仮面信仰のルーツを辿っていくと、縄文まで遡ることができる。日本人の血の中に縄文の血がしっかり流れている、ひとつの証なのではないだろうか。
そして・・・全ての始まりは、終わりであり、終わりは、全ての始まりでもある。私の中の、縄文の記憶を追い求める旅は、まだ終わりは見えないのだが、放浪をしているわけではないので、旅も一区切りをつけなければいけないと思う。自身が始めた奉りを納めるには、縄文の炎と祈りを自然太古の神に捧げるしか方法はないのである。
私は迷わず、ここから一番近い聖地、新潟県長井市の古代の丘(長井縄文遺跡)に向かう事にした。
朝日山系の麓の古代の丘、ここには日本全国の土偶が集まって来ている。
なんとも楽しいではないか!わたしも一緒に踊りだしてしまう!ここは私にとって、聖地である。
むろん土偶はレプリカであるが、それはたいした問題ではない、自然神の住む山と人間の祈りで縄文の魂を吹込めば良いのだから。(資料館の皆様、突然にお邪魔致したのにも関わらず、暖かい対応に感謝致します。ありがとうございました。この素晴らしい所は、改めて紹介したいと思います。縄文土器も、ありがとうございました。)
私にとって最も静寂、神聖な時間、夕刻、漆黒の闇があたりを覆うほんの前の瑠璃色の時間を待ち、縄文の壺に命の火を吹込み、祈りをはじめる。その時まで、今回の縄文の記憶を辿るのである。
その時が来た!縄文の壺に火をおこし、炎に祈りを捧げ、私の奉りを朝日山の自然神に納めるのだ。これは、「明日の神話」?いや、私の「縄文の神話」(縄文時代の生活に回帰ではなく、人間も自然の一部である事のこころを今一度、思いおこし、人間が手に入れた最大の進歩である火についておごることなく、ともに生きていく気持ち、未来への私なりの日本人希望の表現なのである。)この時の私の中の心象風景はひとつの絵巻物として、2011年11/18~11/23まで開催されるIPA茨城写真家協会写真展のハレの場にて、公開しようと思います。暫しの間、お待ち下されば幸いです。
写真展は、来場数、千数百人になりました。ありがとうございました。この場を借りまして、お礼を申しあげます
同じ日本列島の中にいるのに、時間の流れ、空気のかおり、目に映る景色の色がどこか違うのだ。
もしかしたら、自分は時空を超えて、知らずのうちに神話の国に入り込んでいるのかも知れない。
男鹿に行ったらここに行け!といわれるぐらい外せない場所。「なまはげ館」
入り口に、これから起こる、不吉?な予感を察知した子供が中に入るのを躊躇っていた。
子供の予知能力は、自然界にまだ精神が近いので、敏感なのである。大人になると、現代人の常識や暮らしに適応している為に五感が、血の奥底に眠ってしまいがちなのである。子供の方が縄文人に近いのかもしれない。あとは、私みたいに山に篭り極力文明の物を持たないようにするしかないのである。
なにはともあれ、先に進んでみることにしよう。観光地ではあるのだが、神聖な空気が流れている。確かにここには、何かがいるのである。
恐る恐る、なまはげ館にお邪魔する。先程の子供の予感は見事に的中していたのである、おおよそ200人のなまはげ様、いやもっと多いかもしれない、なまはげ軍団が今か今かと、待ち構えていたのである。子供でなくとも、なまけていなくても、ちょっとたじろぐ凄さで迫ってくるのである、あまり紹介してしまうと、ここに行く楽しみがなくなってしまうので、写真はあまり載せないでおこうと思う。イメージとしては、中国の兵馬俑を考えるとよいと思う(昔からのなまはげ様から現在のなまはげ様までの大集合なのだ!)大昔のなまはげ様の顔は縄文の土面にも似通っていて実に興味深い。(中には現役のなまはげ様がいるらしく、大晦日の晩は出張なされるらしい・男鹿のなまはげ様は、生きているのである)
ここでは、なまはげ様変身コーナーがあり、近くにいた、ビューティな女性二人組さんが変身するとの事なので、御願いして撮影させて頂けた。こちらが、美人なまはげ様である!こんな、なまはげ様なら毎日でも家に来て欲しいかも(独り言である)
実に濃い時間を堪能できた、だが恐るべし、なまはげ館!敷地内となりに、なまはげ・男鹿真山伝承館が控えており、実際になまはげ習俗が体感できるのである。
ここでの体験も、あまり詳しく話してしまうと行ったときに感動が半減してしまうかもしれないので、みなさんが想像出来る範囲で紹介してみたい。
毎年、大晦日の雪がシンシン降る晩になまけものはいねが!と山からやって来る。
ここ真山のなまはげ様は角がない。本来、なまはげ様とは、神々の化身で災いを祓ってくれる、来訪神なのだそうだ。
なまはげ様の登場だ!案内人(ご主人)の伝承のおごそかな説明のあとなので、かなりビックリしてしまう。
ビックリしたり、感動したり、泣いたり笑ったり、とてもエキサイティングな時間!へたなアミューズメントパークよりはるかに、面白い!感動する!勉強?になる!連帯感が生まれて、ちょっとだけ友達になれます。
是非一度、男鹿のなまはげ館に行ってみては!子供を連れて、一人でも、二人でも、お勧めである
語りの内容がスムーズに伝わってくる、伝承とはこう言うことなのかもしれない。
仮面信仰のルーツを辿っていくと、縄文まで遡ることができる。日本人の血の中に縄文の血がしっかり流れている、ひとつの証なのではないだろうか。
そして・・・全ての始まりは、終わりであり、終わりは、全ての始まりでもある。私の中の、縄文の記憶を追い求める旅は、まだ終わりは見えないのだが、放浪をしているわけではないので、旅も一区切りをつけなければいけないと思う。自身が始めた奉りを納めるには、縄文の炎と祈りを自然太古の神に捧げるしか方法はないのである。
私は迷わず、ここから一番近い聖地、新潟県長井市の古代の丘(長井縄文遺跡)に向かう事にした。
朝日山系の麓の古代の丘、ここには日本全国の土偶が集まって来ている。
なんとも楽しいではないか!わたしも一緒に踊りだしてしまう!ここは私にとって、聖地である。
むろん土偶はレプリカであるが、それはたいした問題ではない、自然神の住む山と人間の祈りで縄文の魂を吹込めば良いのだから。(資料館の皆様、突然にお邪魔致したのにも関わらず、暖かい対応に感謝致します。ありがとうございました。この素晴らしい所は、改めて紹介したいと思います。縄文土器も、ありがとうございました。)
私にとって最も静寂、神聖な時間、夕刻、漆黒の闇があたりを覆うほんの前の瑠璃色の時間を待ち、縄文の壺に命の火を吹込み、祈りをはじめる。その時まで、今回の縄文の記憶を辿るのである。
その時が来た!縄文の壺に火をおこし、炎に祈りを捧げ、私の奉りを朝日山の自然神に納めるのだ。これは、「明日の神話」?いや、私の「縄文の神話」(縄文時代の生活に回帰ではなく、人間も自然の一部である事のこころを今一度、思いおこし、人間が手に入れた最大の進歩である火についておごることなく、ともに生きていく気持ち、未来への私なりの日本人希望の表現なのである。)この時の私の中の心象風景はひとつの絵巻物として、2011年11/18~11/23まで開催されるIPA茨城写真家協会写真展のハレの場にて、公開しようと思います。暫しの間、お待ち下されば幸いです。
写真展は、来場数、千数百人になりました。ありがとうございました。この場を借りまして、お礼を申しあげます
by ipa_ibaraki
| 2011-10-06 01:02
| 嶋田 孝和