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茨城のプロカメラマンは、どなた?

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IPA茨城写真家協会ブログ

カテゴリ:嶋田 孝和( 58 )

IPA茨城写真家協会の、田澤純さんが参加している「はな・花・華」展におじゃましてきました。
14名のメンバーが、写真・絵画・手芸・書道・木工等々「花」をテーマにした展覧会で、同級生で集まって開いたとても素敵なグループ展でした。
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茨城県水戸市植物園12月13日(日)まで開催しています。ご覧になるときっと、同級生で展覧会を開きたくなります☆
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by ipa_ibaraki | 2015-12-09 22:04 | 嶋田 孝和
高度一万メートル上空の地球。 遠く、遠く、高く、
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by ipa_ibaraki | 2012-02-11 21:05 | 嶋田 孝和
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瑠璃色の空から、天使の羽のような雪が音もなく、静かに舞い降りてくる。ふと気がつくと、早朝から舞い降りている雪は、冬枯れた寂しい地上の景を、素敵な世界に変えてしまったようである。やがて名も知らぬ、一軒の家から,あかりが点いた、それはとても優しく、また,とても暖かい。家路に向かうに十分なあかりである。

嶋田孝和
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by ipa_ibaraki | 2012-02-08 13:30 | 嶋田 孝和
遥か昔、ここはひとつの島であった、太古(一万年前)は火の島で神のみが住む事を許された聖地であったろう。
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やがて、地殻変動も落ち着き、鳥達が草木の種を運び大地は緑で覆われるようになり、鹿などの草食動物も住むようになった古代(四千年前)あたりから、人が住むようになる。大畑台遺跡(秋田県男鹿)の調査から、現代人はここに住んでいた人達の事を縄文人と呼び、この地の事を男鹿半島と言う。(砂の堆積・隆起・干拓が無ければ、昔の呼び名のまま、小鹿島と呼ばれていたかもしれない)

長い年月、島であった為に外からの干渉を受けずに縄文の血を受け継いだ独特の文化・風習がこの地には、現在も生きている。そのひとつが、なまはげ様である。現在、日本人なら誰でも知っている「悪い子はいねがー」も本来は、島に入ってくるよそ者・島を荒らす者達を追い払う為に、島の勇者がなまはげになり、島を守っていたのであると、私は思う。

なまはげ伝承館の語りべさんからお話をお聞きすると、なまはげは、男鹿を守る、訪来神。もともとは角はなかったそうで、非常に怖いが土着的で神聖なお顔である。また、この地の縄文遺跡から土面も発見されており、仮面信仰は、縄文時代まで遡る事が出来るのである。
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現在でも、縄文の名残りがないか、山に登ってみたくなった、現代人があまり手を入れない山には何かしらの古代の信仰形跡が残されているからだ。男鹿には真山・毛無山・寒風山と三山あり、前二山は山岳信仰として非常に興味深いが、今回はもっと古代まで遡りたい為、寒風山(休火山)に登ってみた。
杉の木で覆われた麓を少し登ると頂上まで、突然視界が広がる緑の山。ここには昔、鬼が住んでいたと言われる、「鬼の隠れ里」と言う場所がある。山の七合目付近から観光道をはずれ、山道を歩く事、約20分、それは突然、山陰から姿を現した。
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高さ20mはあろうか、石を積み上げた巨大な山、これは明らかに人の手の入った信仰の磐座(イワクラ)である!これが作られた当時、これより先は草木も生えず、岩肌むき出しの荒涼とした世界で、火口付近はまだ噴煙が上がる、人の住む事が許されない鬼の住処であったのではないだろうか、それにしてもあまりに巨大なイワクラ、何故?祈りを捧げ、頂上に登って深く、思考する。ふと下を見てみると平にになった石の窪みに水が溜まっている、一年を通して枯れる事がないと言われている硯石の水を見た。そう言えば、この場所を遮るものも無い、真夏の低山にしては、石が非常に冷たい、水の枯れない理由はこれだ、イワクラには異界の扉と言う意味もあり、恐らくこの石の下には巨大な風穴が存在していると思われる。後日の知らべで、寒風山の地下には無数の風穴が存在している事を知る、このイワクラの下に眠っていると思われる穴はどこかの穴とつながっており、強風が吹くと、鬼の叫び声のような音を発したのではなかろうか、勇気ある縄文人が中に入るが、毒ガスなどで幾人も帰らぬ人となり、これを神や鬼の怒りと恐れ、巨石で封じ込め、奉ったのであろう。現代にも語り継がれて来ている地名には、必ず理由があるのである。(鍾乳洞に入った方であれば、実際に体感しているので、お分かりになられると思うが、地下は気温が非常に低く、温度は一年を通して一定である)これが溜まり水が枯れない、ひとつの回答(地下の冷気により冷やされている)であるが、自然界には人間の知らない大いなる力が存在しているのも事実であると思う。
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この地で一夜を明かした翌日、ウオー・・・・ウオー・・・・風音?がする、テントの外を見てみると、これは夢か幻か?なまはげ様が里に向かって降りて行く、男鹿は本当に、なまはげ様が住んでいるのだ。

空が高く、空気が古代の香りがする、ここは、神話(縄文)の国である。
写真・文 嶋田孝和
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by ipa_ibaraki | 2012-02-02 20:24 | 嶋田 孝和
縄文の記憶を追って、導かれ感じるままに旅した、2011年夏。自分の奉りごと、山の中で縄文の壺に火入れをし、自然の神様に感謝と鎮めの祈りを捧げ、一区切りをつけた私であったはずなのだが、なにか不完全燃焼のまま、今年の夏を終えていた。なにかが、まだ足りない!祭礼の儀式としては、満足であるが、自分の血をもっと抉って見ろ、何が見える、漆黒の闇のように深く、より深く五感を刺激し、考えた。

血の記憶をたどり、導かれた所の風土、伝統、縄文の遺跡、アミニズム信仰の名残りなどの、地元の方たちの語り、受け継がれてきたものへの、体感と確証への確認であったのだ!(その事は、大きな収穫として、自分の中に蓄積はしたが、もうひとつ上のステージに行きたい感情が、行動へと導いた)

自分自身で何をした、もしかしたら分かったつもりでいるのではないか?その感情が、爆発し、そうだ!自分も実際に、縄文の壺を作ってみたくなったのである。壺を作ることによって、何を感じ、なにが見えてくるのか!
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(青森県青森市三内丸の内遺跡・出土の本物)

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茨城県笠間市・工芸の丘・陶芸美術館のならびにある、KASAMAクラフトヒルズの体験工房にお邪魔した。
10/10 笠間焼フェアの真っ最中でもあり、多くの人で賑わいをみせていた。
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作家さんの、新作展示・販売も行われており、思わず欲しくなる作品がならぶ。(買いませんでした、いや、買えませんでした)

体験ふれあい工房の入り口に、一際目に入る壺がひとつ、私を釘付けにして離さない作品が展示(F先生の作品)されていました。
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素朴でとても温かみがあり、牧歌的な歌声が聞こえてくる縄文の壺。これが私と、縄文・F先生の出会いとなりました。先生にいろいろと教えて貰いながら、てびねりで形を整えてゆく、これがなかなか難しい、土が自分のイメージに馴染んでくるまでに、手が土色になってしまった。手のひらのシワを見ていると手が縄文になっていて、笑ってしまう!とても、楽しい!時の経つのも忘れ、二時間程で壺の姿が整った。よし!次は、紋様だ!
ところが、意気込めば意気込む程、手が止まる、魂込めが進まないのだ、困った、思わずロクロ回しを教えに行っていた先生に助けを請う、いろいろ先生と話をするうちに、心落ち着き、私の気持ちの原点に振り返る、
紋様とは、何を見て作ったのではなく、人間の思いではないか、自然を崇め、奉り、恐れ、恵みに感謝、それらの思いの幸せになりたい、浄化の為の壺、希望の壺であったのではと思う。(祭礼用)
紋様の意味が理解出きれば、心は縄文時代に時空を超えて飛んでいく、どんどん手が動く(上手いかどうかは、別問題ではあるが、はじめて作ったので、壺の文様に関してのご意見はご勘弁の程)
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普通の煮炊き、皿などは、各家族で作ったかも知れないが、紋様の凝った壺は、簡単そうでもいざ、作ろうとすると以外に牧歌的だが、精巧なのに驚いてしまう、バランスが難しいのである。もしかしたら、縄文時代にはそれぞれ、専門職の仕事があり、釣り、狩猟、木の実の栽培、土器職人、シャーマンなど分業制がかなり進んだ文明かもしれないと、再認識をした。(実際に作ってみないと見えてこないものもある)

なんとか、先生の大いなる、手助けを受けての、私の縄文の壺の完成(第一号)!へびの紋様に目を入れてしまったので、デザインらしくなくなってしまったが、表現の大胆と言う事で、自分を納得させ、終了。(総時間3時間30分)あとは乾燥させ、素焼きして本完成になる。 縄文・F先生、いろいろな話、手助け、本当にありがとうございました。壺作りが、面白くて、癖になりそうです。より、完成度の高い作品を作りたい!また、縄文先生、宜しく御願い致します。(クラフトヒルズ・ふれあい工房の先生は、みなさんとても親切です、興味がわいたら挑戦してみる事も悪くないと思います、自分の気持ちの新発見が出来るかもしれません)。
追記
改めて、火焔土器・遮光土偶・岡本太郎先生の「縄文人」は凄い!と思う、体験の日である。
(すごい丁寧に!大胆に!エキサイティング!精神的に!いったいどのくらいの時間を費やして創作したのであろうか?思いは、時空を駆け巡る。)
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by ipa_ibaraki | 2011-10-16 02:02 | 嶋田 孝和
 B級ご当地グルメサミット in 笠間のpart-2です。
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会場中心ステージ付近は、すごい人になってきました。食の奇跡の他に、会場ステージでは、もうひとつの
奇跡が起こり始めていたのです。それは、爽やかな、秋の風に乗って、透明な歌声が聞こえてきたのです。
前回、月見の会で紹介した、ayakoさんのHaLoユニットの奏でる、音楽でした。(笠間市在住、月の最終週では、IBS茨城放送、午後の番組ノーツにてパーソナリティー担当。音楽家であり、写真家。農業がやりたくて、笠間の地に来てくれたそうです。)
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ayakoさんの歌声は、笠間に吹く、秋の風のように優しく、爽やか、力強い言葉は、大自然の生きとし生きるものすべて、大地、空、太陽と対話する、祈りのようです。
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やさしくふりそそぐ、太陽の光のシャワーのように、みんなを包み込んでくれました。とても幸せな気分!
これは、この日起こった、もうひとつの奇跡だったのかもしれません。
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なぜなら、奇跡は人を、笑顔にしてくれるから!
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「えがおのリレー」がはじまりました。
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この日は、谷川俊太郎さんの詩「朝のリレー」も朗読してくれました。数年前のネスカフェのCM(その年のCM
グランプリを受賞)、私の一番好きなCMです、今でも色あせる事は、ありません。みなさんも、きっと記憶にあ
ると思います。(CMもayakoさんが朗読しています)
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「朝のリレー」  作・谷川俊太郎 
カムチャッカの若者が、きりんの夢を見ているとき、メキシコの娘は、朝もやの中で、バスを待っている
ニューヨークの少女が、ほほえみながら、寝がえりをうつとき、ローマの少年は、柱頭を染める、朝日にウィンクする、この地球ではいつもどこかで朝がはじまっている。ぼくらは朝をリレーするのだ、経度から経度へと、
そうしていわば、交代で地球を守る。眠る前のひととき、耳をすますと、どこか遠くで、目覚まし時計のベルが
鳴ってる、それはあなたの送った朝を、誰かがしっかりと、受けとめた証拠なのだ。

(こころに染み入る、とても良い詩だと思います。「朝のリレー」の他にも、谷川俊太郎さんの詩はたくさん良い
詩があります、これを機会に読んでみてはいかがでしょうか。読書の秋です。)

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この日おきた、さまざまな奇跡が、永久に続きますように、祈ります。
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HaLoさん、ありがとうございました。
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by ipa_ibaraki | 2011-10-14 19:15 | 嶋田 孝和
2011年、10月9-10日。秋晴れの中、B級ご当地グルメサミット in 笠間が開催された。
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10日の最終日にお邪魔してみました。
多くの人で、賑わうなか、笠間のいな吉くんも、嬉しそうです!(一つのブースの行列が100人を超えます)
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震災後、がんばろう茨城!をスローガンに、がんばっている人達を追ってきて変化してきた事、エールとして
の撮影ではなく、がんばってるから、一緒にがんばろう!の撮影になってきています。
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美味しさの秘密はなんだろう?それは、魔法のスパイスにありました!「みんな笑顔が素晴らしい!」
福島もがんばってます!
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スマイル!スマイル!スマイル!ふりかければ、5倍、10倍!美味しくなっちゃいます!
茨城も、がんばってます!
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たくさんの笑顔が、ありました!すべて紹介出来ないのが残念ですが、来場したお客様のこころの中の記憶
に、この日の美味しい奇跡は、永遠に残る事でしょう。
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素晴らしい、笑顔をありがとうございました。
part2へ続く。
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by ipa_ibaraki | 2011-10-13 23:22 | 嶋田 孝和
男鹿半島、ここはなまはげ様のふるさとである。この半島に足を一歩、踏み入れた瞬間から、私の中の感情がいつもと違う事にきずくのに時間は掛からなかった。
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同じ日本列島の中にいるのに、時間の流れ、空気のかおり、目に映る景色の色がどこか違うのだ。
もしかしたら、自分は時空を超えて、知らずのうちに神話の国に入り込んでいるのかも知れない。
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男鹿に行ったらここに行け!といわれるぐらい外せない場所。「なまはげ館」
入り口に、これから起こる、不吉?な予感を察知した子供が中に入るのを躊躇っていた。
子供の予知能力は、自然界にまだ精神が近いので、敏感なのである。大人になると、現代人の常識や暮らしに適応している為に五感が、血の奥底に眠ってしまいがちなのである。子供の方が縄文人に近いのかもしれない。あとは、私みたいに山に篭り極力文明の物を持たないようにするしかないのである。
なにはともあれ、先に進んでみることにしよう。観光地ではあるのだが、神聖な空気が流れている。確かにここには、何かがいるのである。
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恐る恐る、なまはげ館にお邪魔する。先程の子供の予感は見事に的中していたのである、おおよそ200人のなまはげ様、いやもっと多いかもしれない、なまはげ軍団が今か今かと、待ち構えていたのである。子供でなくとも、なまけていなくても、ちょっとたじろぐ凄さで迫ってくるのである、あまり紹介してしまうと、ここに行く楽しみがなくなってしまうので、写真はあまり載せないでおこうと思う。イメージとしては、中国の兵馬俑を考えるとよいと思う(昔からのなまはげ様から現在のなまはげ様までの大集合なのだ!)大昔のなまはげ様の顔は縄文の土面にも似通っていて実に興味深い。(中には現役のなまはげ様がいるらしく、大晦日の晩は出張なされるらしい・男鹿のなまはげ様は、生きているのである)

ここでは、なまはげ様変身コーナーがあり、近くにいた、ビューティな女性二人組さんが変身するとの事なので、御願いして撮影させて頂けた。こちらが、美人なまはげ様である!こんな、なまはげ様なら毎日でも家に来て欲しいかも(独り言である)
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実に濃い時間を堪能できた、だが恐るべし、なまはげ館!敷地内となりに、なまはげ・男鹿真山伝承館が控えており、実際になまはげ習俗が体感できるのである。
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ここでの体験も、あまり詳しく話してしまうと行ったときに感動が半減してしまうかもしれないので、みなさんが想像出来る範囲で紹介してみたい。
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毎年、大晦日の雪がシンシン降る晩になまけものはいねが!と山からやって来る。
ここ真山のなまはげ様は角がない。本来、なまはげ様とは、神々の化身で災いを祓ってくれる、来訪神なのだそうだ。
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なまはげ様の登場だ!案内人(ご主人)の伝承のおごそかな説明のあとなので、かなりビックリしてしまう。

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ビックリしたり、感動したり、泣いたり笑ったり、とてもエキサイティングな時間!へたなアミューズメントパークよりはるかに、面白い!感動する!勉強?になる!連帯感が生まれて、ちょっとだけ友達になれます。
是非一度、男鹿のなまはげ館に行ってみては!子供を連れて、一人でも、二人でも、お勧めである
語りの内容がスムーズに伝わってくる、伝承とはこう言うことなのかもしれない。
仮面信仰のルーツを辿っていくと、縄文まで遡ることができる。日本人の血の中に縄文の血がしっかり流れている、ひとつの証なのではないだろうか。


そして・・・全ての始まりは、終わりであり、終わりは、全ての始まりでもある。私の中の、縄文の記憶を追い求める旅は、まだ終わりは見えないのだが、放浪をしているわけではないので、旅も一区切りをつけなければいけないと思う。自身が始めた奉りを納めるには、縄文の炎と祈りを自然太古の神に捧げるしか方法はないのである。
私は迷わず、ここから一番近い聖地、新潟県長井市の古代の丘(長井縄文遺跡)に向かう事にした。
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朝日山系の麓の古代の丘、ここには日本全国の土偶が集まって来ている。
なんとも楽しいではないか!わたしも一緒に踊りだしてしまう!ここは私にとって、聖地である。
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むろん土偶はレプリカであるが、それはたいした問題ではない、自然神の住む山と人間の祈りで縄文の魂を吹込めば良いのだから。(資料館の皆様、突然にお邪魔致したのにも関わらず、暖かい対応に感謝致します。ありがとうございました。この素晴らしい所は、改めて紹介したいと思います。縄文土器も、ありがとうございました。)

私にとって最も静寂、神聖な時間、夕刻、漆黒の闇があたりを覆うほんの前の瑠璃色の時間を待ち、縄文の壺に命の火を吹込み、祈りをはじめる。その時まで、今回の縄文の記憶を辿るのである。
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その時が来た!縄文の壺に火をおこし、炎に祈りを捧げ、私の奉りを朝日山の自然神に納めるのだ。これは、「明日の神話」?いや、私の「縄文の神話」(縄文時代の生活に回帰ではなく、人間も自然の一部である事のこころを今一度、思いおこし、人間が手に入れた最大の進歩である火についておごることなく、ともに生きていく気持ち、未来への私なりの日本人希望の表現なのである。)この時の私の中の心象風景はひとつの絵巻物として、2011年11/18~11/23まで開催されるIPA茨城写真家協会写真展のハレの場にて、公開しようと思います。暫しの間、お待ち下されば幸いです。
写真展は、来場数、千数百人になりました。ありがとうございました。この場を借りまして、お礼を申しあげます
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by ipa_ibaraki | 2011-10-06 01:02 | 嶋田 孝和
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毎年、青森県で行われているお祭、このお祭は日本の三大奇祭としても有名である。
なぜ、縄文の記憶として取り上げるかと言うと、楽しいく盛り上がると言うよりも、私の肌で感じる感覚として、かなり呪術的な感じに感じるからなのかもしれない。祭りの起源としては、江戸時代からみたいだが、始まった説としては、、大きな疫病がはやり、亡くなった人を土に埋め、それを硬く固め、蘇らないように供養する為に多くの羽根人が大地を「ラッセー」(来世で)と声を出し、大地と一体になりトランス状態のなか大地を固める事から来る説がある。実に呪術的で縄文の呪術に通じるものがあると思うのだ。これはたんなる祭りではなく、奉りであると私は思う。
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今まで、いろいろな太鼓囃子を聴いてきているが、縄文のような掛け声、「ラッセーラッセー」に合わせた呪文のようなリズムに聞こえてきて、自然に呪術にかかったように体が跳ね始めてしまうのだ。
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体の中の血が、熱く燃え出してくる。
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形は少々異なるかもしれないが、ねぶたの踊りに、縄文の踊りが、フラッシュバックしてしまう!
縄文人も亡くなった魂などを沈める為に、我を忘れ踊ったのであろう。
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by ipa_ibaraki | 2011-10-05 03:22 | 嶋田 孝和
日本人の色はなんだろう?
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ここで言う色とは、作品に命を吹き込む、感動した時などの感情の色のことである。日本人ほど色に対していろいろな意味をもたせて表現している、凄い民族であると、私はつねずね思っている。(中間色が多彩で、実に繊細、図書館などで日本の色の本などがあるのでそこで驚くほどの色があることを知り、驚く事であろう)
いままでに、水墨画の技法、日本画の技法、洋画の技法などを研究し、写真に如何に取り込むかと言う事に挑戦してきたが、最近は、如何に色を排除し、単色の世界に凝縮、することに心血を注いで制作に取り掛かるようにしている。(なぜなら、そのときどきに味わう感情は、とても純粋で、よけいな色があまり混ざらないと、私は、思うからなのである。)目の前に見えている景色の色ではなく、心の中に見えている色を出していく。
私が現在求めているのは、縄文の色彩である、大きく分けると、赤・黒・青・緑・白の五つの色。(いずれの色も自然の中からみられる原始的な日本の原色である。それにプラスして私は季節や時刻の空気も加味してゆく)
瀧・水・空はブルー(瑠璃色の世界は浄化を意味する)・漆黒の闇(黒のなかに何かが潜む、無限の広がりがある)・森(緑は生きとし生けるものの再生)・白(純粋無垢、神の色として考える)単純化して話すと、そう言う言葉になって行くのだが、奥はもっと深い。
そして、今回は、あか である。赤と言ってもいろいろあるのだが、私の中の血の色になる。但し、採血されて時間のたった酸化してしまった色ではなく、とりたてのような赤(光にあてると朱色に輝いている)を指している
太陽はエネルギーを発しているので、赤と言うよりは、黄金の光と呼んだほうがいいかもしれない。(赤として表現するときもあるのではあるが)
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雄島海岸にて、この日知りあった気持ちのいい太鼓蓮と、日本海に沈む太陽の道を見つめる。
沈んでいくのであるから、一日の終わりのはずなのだが、私の縄文の血が、どんどん沸きあがってくる。活力がみなぎって来るのである。もしかしたら古来、夜は一日のはじまりだったのかも知れない。夜の方が、五感が刺激されてきて、感覚が非常にダイナミックになっていくからだ。朝の始まりは、気持ちは良いが、これほど体が感動はしてこないのである。(あくまで私の感覚で、他者に強要するものではないのだが)
一般常識で決められた、時間割は現代人の為で、縄文人の時間割でなかったかもしれない、と思う。
だからこそ、縄文にとっての炎の赤く、時として朱色は、特別の意味を持っていたのではないかと思う。


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by ipa_ibaraki | 2011-10-05 01:12 | 嶋田 孝和