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佐白山異考録。 嶋田孝和

茨城県笠間市に佐白山(石倉)と言う山がある。なんどこの地を訪れても、一箇所を除き空気が悲しく、重く、無数の言霊が、はらっても、はらっても、私にのしかかってくる、またそれら全てを浄化?鎮静させる、なにか得体のしれない凄いパワーを感じる場所でもある。恐れの心を隠しながら、何度も通う理由はそこにある。核心を話す前に、この山に関する歴史を紐解いてみなければなるまい。
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このお山は、その手の方々にとっては日本中でも指折りの心霊スポットとして何時のころからか、有名になってしまった。特に、千人溜広場から天守閣の手前の橋までは、空気がやたらと重い。出るか出ないかと問われれば、多くの血が歴史の中で、流されてきた事を知れば知るほど、私は、前者に首を深くうなずかねばなるまいと思うと同時に、物見遊山ではなく、目的の場所に静かに足を運ばせるだけである。(浄土宗の血はひいているが霊験のさほど高くない、私などの祈りの合掌など時として、逆効果になる。むしろこの山の本来もっている力に沈静をまかせた方が良いと感じる。)見える、見えない。感じる、感じないは、人それぞれである。私としては、見えない、感じない方が幸せであると、つねづねそう思っている。
さて、前置きはこのくらいにして、出きる限り歴史を紐解いていく事にしてみよう。

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時は、古墳時代。大和朝廷の勢力は、常陸の国・笠間地方にまで及んできたと言う。この時の国治めの統括指揮をしていたのが、豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)である。朝廷からの名により東の国々の統治を行った、手には剣をもっておられるので、国治力と闘いの神でもある。統治後、佐白山の守護神として奉られる事になるのだが、651年前後あたりから、仏教の勢力が強まり、奈良・平安・鎌倉時代の初め頃まで、神仏をうまくとりこみこの地を統治する。この頃の地名は三白山(岩倉)と言われており、由来は、正福寺のご本尊がこの山の白雉・白鹿・白狐に守護された霊木を使った事により地名を変更。お山の力に守られて、栄えていたが、近隣の引布山の徳蔵寺方の僧侶が三白山の力が欲しいと、寺同士が対立し、戦になり多くの血が流されたそうである。なかなか決着がつかない争いに国が荒れてしまうと言う事で、時の日本の権力政府・鎌倉幕府より、藤原時綱が出兵し両方の寺共々、圧し、沈静させる。その後、時綱はこの山にとどまり、笠間氏と名のり、山城を築きこの地を18代の長きに渡り、統治する事になる(時綱もまた、この山の力に魅了された一人である
お山の神様を代々、大事にしていたと思われる。)この統治時代の地名は、佐白山(石倉)と言う。笠間氏の統治は、鎌倉・室町・桃山時代中期までで、豊臣秀吉に逆らい親戚筋の宇都宮氏に滅ばされるが、宇都宮氏の佐白山の統治は、豊臣の名により短命に終わっている。

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この後、蒲生氏が着任、統治し、単なる山城から石倉の石を切り出し、石垣を施し城を要塞とする大修復工事が行われているのだが、ここで私は一つの大きな事件が起きたのではないかと思っている。石垣を施す為に、石倉の石を割り、使用した事によりお山の神の怒りをかったのではないかと思われる節がある。とよきいりびこのみこと以前、縄文・弥生時代の佐白山は恐らく、白山信仰(ククリ姫は、水龍の化身で五穀豊穣・疫病・常世と現世の管理神として知られている)または巨石などの自然信仰などで山自体が神の山として奉られていたと考えられる。岩倉・石倉は実は、磐座(イワクラ)なのであると私は解釈している。人間が勝手にお山に入り込み、神仏を大事に奉るまではまだ力も貸していただろうが(笠間一族)、写真で見てもお分かりになると思うが私がこのお山の磐座(イワクラ)と思っている石に割ろうとして楔が打ち込んであるではないか、おそらく神の祟りがあったのであると、思われる。石はそのまま割られるのを中断。現に蒲生氏から、江戸時代幕末・城廃止までの間に数多くの城主が存在しているのである。蒲生氏・小笠原氏・永井氏・浅野氏・井上氏・本庄氏・牧野氏まで、割と平和な江戸時代300年の間に、一族一代もしくは、二代ぐらいで、これだけの城主が変わるのは異常としかいえないと、思うのだ。

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現在は、豊城入彦神を奉る、佐志能神社が再び呼び戻され、人間の居なくなったこのお山を沈めてくだされているのだが、磐座に関する伝承は以前、謎のままである。ただこの佐白山に幾度と無く訪問し、空気が暗く、重くない場所、澄んだ水の底に居るような気分になれるのは、この写真の磐座近辺のみに限られる。磐座とは、現世と常世の入り口、境界線とも言われているので、私も思う思念が強いと引き込まれそうになるかもしれないので、このへんで一旦、筆を置く事にしたい。

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自然界には、まだまだ人間の知らない事がある、人間は、知らなくてもよい事がある。
by ipa_ibaraki | 2011-06-11 12:43 | 嶋田 孝和

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